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皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
我が家の庭は、植木が繁茂しはじめ、私が出来るところは剪定をしていますが、手に負えないところは"庭師"に入ってもらうことにしています。我が家が頼んでいる"庭師"は、京都の庭園づくりなどで修業した人で、我が家の庭を落葉樹と石畳と石灯篭、蹲、竹垣で、ちょっとした京都風庭園に衣替えしてくれました。書斎に座り、コーヒーを飲みながら庭を眺めるのはちょっとした至福の時です。"庭師"は、樹木の性質をよく知っていて、剪定もただ刈り込めばいいというものではないこと等、まるで"樹木と会話"しているが如く、剪定を進める姿は、やはりその道のプロだと感嘆しながら作業を垣間見ています。
4月、5月に行った家の中の断捨離も一段落しました。だいぶすっきりして、また新たな気持ちで生活が出来そうです。ちょっと前までは捨てられなかったものが、80歳を過ぎてからは、惜しげもなく捨てられる心境に我ながら驚いています。それだけ先行きを感じるのでしょうか。
5月、6月は各種団体の理事会、評議員会の季節です。私も"終活"に向けて、後任に譲れるところはお願いしています。その一環ではありませんが、3年前から後任を探していた(公財)テクノエイド協会の理事長職の後任がようやく見つかり、各種手続きも終わり、
5月27日の理事会、6月20日の評議員会の議決を経て、6月20日付けで退任しました。2011年7月から2025年6月までの14年間務めさせて頂きました。
(公財)テクノエイド協会の理事長職は、1986年の(公財)テクノエイド協会創設時以来、厚生省の元局長クラスのポストでしたが、私が就任した2011年は、当時の民主党政権下において、いわゆる"事業仕分け"が行われ、かつ公益法人改革が進み、"瓢箪から駒"の類で私が理事長に選ばれました。
就任当時、畏友の白澤政和さんに"大橋さん、(公財)テクノエイド協会理事長職は黒塗り車付き、秘書付き、高給取りのポスト"ですかと尋ねられたが、残念ながらそのような恩典はなく、非常勤の、出勤ごとの日当が支払われるポストでした。日本社会事業大学の清瀬移転でお世話になった旧厚生省社会局の旧知の人からの依頼でもあり、就任しました。
一方で、(公財)テクノエイド協会の理事長職に就くことに、ある意味、とてもいいチャンスを与えて頂いたと喜びました。それというのも、WHO(世界保健機構)のICF(国際生活機能分類)を日本語版に訳するワーキンググループの仕事を仰せつかったこともあり、かつ1960年代から救貧的福祉サービスの提供でなく、福祉サービスを必要としている人々の自己実現、幸福追求を図ることが社会福祉の目的であると考えてきた私にとって、福祉機器の利活用を促進するという(公財)テクノエイド協会の業務は、社会福祉界と福祉機器の開発、普及を図る関係者との"橋渡し"ができ、日本の社会福祉の考え方の改革に少しは貢献できるという思いと願いがあったからです。
(2025年6月24日記)
WHOのICFの考えを厚生労働省が翻訳し、日本での普及促進を図ろうとした2000年代初頭に、畏友白澤政和さんと、これからの社会福祉研究、実践は「ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワーク」という考え方で進めなければならないと話し合ったことがある。
ICFの視点でケアマネジメントの方法を活用したソーシャルワークの考え方については、拙著『地域福祉とは何かの』の第1編第2部「地域での自立生活を支えるICFの視点に基づくケアマネジメント及び福祉機器活用によるソーシャルケア(ソーシャルワーク・ケアワーク)」に詳しく述べてありますのでご参照ください。
なお、私が理事長就任後初めての"福祉用具とICFとソーシャルワーク"とのテーマで講演をしたのが2012年11月であるが、そのレジュメを記録として再掲しておく。
『ICFの視点を踏まえたケアマネジメントと福祉用具の活用・普及』
公益財団法人テクノエイド協会理事長
大橋 謙策
【追加注:文庫版底本の電子版2016年/726円】
本書の著者である「郷信太郎」は、ペンネームで、本名は東京都副知事を務められた青山佾氏である(青山佾氏は、東京都23区の公選区長として中野区の革新区政を促進された青山良道氏のご子息である)。
# 1960年代から、東京都では23区の区長公選の運動が活発になり、区長は公選となった。時を同じくして、中野区を中心の教育委員会の教育委員の公選を求める運動も活発になっていた。他方、1969年に公表された「コミュニティ──生活の場における人間性の回復」では、麗しきコミュニティ作りが言われるようになり、岡村重夫先生も田端輝美先生も、奥田道大コミュニティ理論を援用して地域福祉論を展開していたが、私は「コミュニティ構想」は「自治権」なき住民参加で非常に危険だと警鐘する論文をかいた。当時、経済同友会は「70年代の社会緊張の問題点とその対策試案」をだしていて、その中で、住民活動を誘導、水路づけるのはソーシャルワーカーであると述べており、そのことへも反論した論文を書いている。
きれいごとではなく、「住民自治」とは何を基盤に、どのような権限が住民にあるのかをきちんと整理した上で使わなければならない。
青山佾氏は、東京都の管理職でありながら、『上杉鷹山』などの本を執筆した故童門冬二に倣ったのかは知らないが、青山佾氏も東京都政策報道室長時代にこの本を書いた。
私はその当時、東京都福祉局、衛生局の仕事を多く手掛けていた縁で青山氏から恵贈された。恵贈された際にすぐ読んだものの、そのまま2階の納戸の書棚に収めままであった。4月、5月の断捨離の際に、この本を見つけ改めて読み直した。
というのも、戦前の社会事業研究の上で忘れてはならない人物の一人が後藤新平で、医師として公衆衛生に博識を持っており、その視点で台湾総督府の民生長官や東京市長、内務大臣を歴任し、公衆衛生、都市計画を推進した人物だからである。
戦前の社会事業は、社会政策がいまだ未分化であったせいもあるが、貧困をもたらす要因として、ベヴァリッジの5つの巨人悪ではないが、上下水道の整備や保健衛生はとても重要な分野として認識されていた。長谷川良信が『社会事業とは何ぞや』で整理しているように、生活困窮と公衆衛生、都市計画(住宅政策)などとは密接なかかわりがあり、重要な政策課題であった。後藤新平は、100年前の関東大震災からの復旧、復興にも大きな力を発揮している。
時代は変わり、社会政策は体系化されてきたものの、その縦割り行政の弊害が明らかになり、改めて"大所高所"からの住民の生活の向上に向けた取り組みの必要性が、とりわけ人口減少、労働力不足、超高齢化社会の進展の中で問われている。
過疎地の人口減少、著高齢化で呻吟している地方自治体にあっては、改めて後藤新平が志したような「福祉はまちづくり」の哲学が求められているのではないか。再読しての感想である。
著者の菊池新一氏は、遠野市が1990年に老人保健福祉計画を策定するときからの畏友である。
菊池新一氏(当時、遠野市係長)が、遠野市の老人保健福祉計画の策定アドバイザーを依頼に来た時、私は生意気にも、お飾りの、アリバイ作りのアドバイザーなら引き受けないといった。というのも、私の地域福祉研究・実践の研究スタイルは{バッテリー型の研究方法}だったので、その地域の地域づくりに責任をもって、長くかかわらないと地域づくりはできず、ありきたりの形での形式的な各種委員やアドバイザーをやりたくないと思っていたからである。
遠野市は、1991年3月に老人保健福祉計画ではなく、地域福祉計画の老人保健福祉編として「遠野ハートフルプラン」を策定した(遠野市の地域福祉計画づくりは『21世紀型トータルケアシステムの創造―遠野ハートフルプランの展開』万葉舎、2002年9月に詳しいので参照)。
遠野市の計画づくりでは、計画づくりのプロセスゴールの一つである住民座談会を68か所で行った。また、リレーションシップゴールとして市議会議員研修を3回行った。市議会議員の調査研究の一環としての研修で、はじめて「福祉のまちづくり」ではなく、「福祉でまちづくり」の必要性を提唱した。
『遠野カッパの独り言』には、そんなこともエピソードとして紹介されている。
『遠野カッパの独り言』は、菊池新一氏の遠野市役所時代とその後の認定特定非営利法人遠野山・里・暮らしネットワークの活動が紹介されている。菊池新一氏のアイデア溢れる地域づくりの実践にはただただ敬服するばかりである。これこそ地域づくりの醍醐味、楽しさだとおもえると同時に、このような構想、実践が全国各地で必要とされていることを実感する。
ここ数年、長野県の人口減少、超高齢化の小規模市町村の地域福祉のあり方について考える機会が長野県社会福祉協議会から与えられているが、長野県社会福祉協議会の職員たちにとって、この本は必読の書であると思った。
それにしても、このような素晴らしい活動、実践を展開できる人に、1990年時に大変失礼な言い方をしたものであると反省をしている。それらの経緯は、本書で「O先生」として紹介されている。
本書を読んで、菊池新一氏の考え方、発想は私と非常によく似ていると思った。また、菊池新一氏はコミュニティデザイナーを標榜している山崎亮氏ともよく似ていると感じた。
日本福祉大学は、1980年代から「司法福祉」を大切にしてきた大学で、山口幸雄先生、加藤幸雄先生等家庭裁判所の調査官だった方々が教員として採用されてきた。本書の著者である藤原正範氏も同じ系列の教員である。
藤原正範氏は、日本福祉大学ソーシャルインクルージョン研究センターの研究者たちと日本学術振興会の科学研究費に採択されたテーマで協働研究を進め、その研究成果をこの本で取り上げている。その内容は、実際の公判を傍聴しながら、司法福祉について論究している内容である。
本書を読んで考えさせられたことは、
「更生とは、裁判の結果送り込まれる刑事施設で自分を見つめ直し人間性を回復することだという言説はフィクションである。人の立ち直りは自分自身を大切にしたいと思うことが出発点である。刑事司法手続きの中に、人を大切にする気持ちを育む機能は内包されていない」(p.77)
「私は、犯罪を生み出すのは社会であり、社会の傷として犯罪が生み出されると考えている。この考え方に反発する人は多い。犯罪の責任は本人にある。第一に、本人に責任を負わせる。それができないならば家族が責任を持つべきである。そんな考えが社会にまん延している。私は、こんなふうに思うのだ。罪を犯すのは、そこに至るまでの人生の中でさまざまな事情からうまく生きることができなかった人たちである。そのさまざまな事情の中にある社会の責任は決して小さなものではない」(p.203)
「刑事裁判への社会福祉士の関与について、バラ色のイメージを大きく振り撒くことは慎みたい。その活動で罪を犯した人々の地域社会への移行や定着が以前より円滑になるとは思うが、その結果、犯罪者は立ち直れるのか、犯罪被害者は救われるのか、犯罪のために生じた社会の傷を癒すことができるのか、ひいては犯罪の少ない社会に近づくことができるのかと問われると、犯罪はそんなに柔に解決できる社会問題ではないと答えるしかないだろう」(p.204)
という論述である。
(2025年6月24日記)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)・著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。
ご参照ください。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と居きる意味を知るー」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録」
第6巻「経歴と研究業績」
第7巻「福祉でまちづくりー支え合う地域福祉実践・「まちづくりと福祉教育」の嚆矢」
第8巻「大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る」
別巻 「地域包括ケア・介護・CSW・潮流と展望~理論と実践・他人の土俵に乗る~」
ブックレット「社会福祉従事者の虐待問題」